DX人材について考える🤔
YOASOBIの「夜に駆ける」って曲にハマっている今日この頃ですが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。
あの曲の芸術的な旋律(←なんて表現したらいいか分からず笑)に惹きこまれたのが始まりでしたが、意味深な歌詞も世界中の人を魅了するポイントかもしれませんね。私はハッピーエンドが好きなので、あの曲に出てくる2人はきっと、汚い面もあるこの世界にも何かしらの希望を互いに見出し、手を取り合って生きていくことを決意したと信じていたいです。(素直に歌詞を追ってくとそうは読み取りにくいのが儚いですが・・)
さて、冒頭から脱線しましたが、最近流行っているデジタル人材、DX人材という言葉。要はデジタル技術を活用し、業務改善(ここでいう改善は、単なる効率化からビジネスモデルの転換まで、様々な規模が有り得ます)を図れる人のことですが、こういった人材はどうやって育てるのか、デジタル庁新設も決定された今、社会で最も大きな課題の一つと言えるでしょう。
今回読んだ本『DX人材の教科書』は企業等に研修やコンサルテーションのサービスを提供している起業家が書いていることもあり、ビジネス現場とエンジニアをいかに繋ぎ、消費者目線に即したビジネス改善ができるようにするかのマインドセット、DX人材の要件のようなことは書いてあったのですが、では具体的にどうやって人材育成をすれば良いかという観点の気づきは少し薄かったように思います。そこまで書いちゃうとサービスが成り立たなく虞もあるので、当然かもしれませんが。
(特定の問題意識を持って本を読むことが多いので、それが読後に解決できてないとモヤモヤしますね・・だから自分は小説の方が合ってるな~とつくづく思います・・)
私がこの本から引き出したかった問題意識はずばり「リカレント教育」にあります。
ジョブ型雇用という言葉が浸透してきてはいますが、多くの社員の生活を守らなければいけない日本の大企業は新卒、終身雇用をそう簡単には止められないのが現実です。そして大企業の雇用形態が変わらない限り、その大企業に影響を受けてあらゆる意思決定をせざるを得ない中小企業含め産業界の抜本的改革にはなりません。
したがって、多くの人が学部卒で就職し、社会人になってから何かの勉強をし直したいと思ったら企業内研修を受けるか、自腹でプライベート時間を使って学ぶしかありません。たまに優良企業だとMBAをとるための海外留学なら送り出してくれたりする企業もありますが、経営学だけではDX人材になれませんよね。。
『DX人材の教科書』にも書いてありましたが、企業はDX人材の育て方が分からないからといって現役社員への投資を惜しみ、これからの時代に必要なスキルを新卒学生に全て期待するのは間違いです。大学だって、ビジネス現場で発揮できるDXスキルは産業界と協力していかなければ追求しきれないでしょう。
DX人材として活躍したい、学部時代では十分学びきれなかったスキルを習得してキャリアアップを図りたい社員は多くいるはずです。そういった社員のやる気を削がず、個人のキャリアプランに合った再教育が長期的には企業にもプラスの効果をもたらすことを信じるべきと思うのです。(どうしても効果が表れるまではコストに感じるでしょうが、教育は長期的目線でしか効果を得られないのが実情です)
つまりは、「リカレント教育」に対する産業界の意識改革ですね。最初はフルタイムとは言わずとも業務後の大学院通学・通信制受講で、また企業からの学費支援もなしから始めてみても良いと思います。今でもアンテナの高い人は自腹で大学院に通っていたりするので(かなりストイックで尊敬を通り越して敬遠されてしまう人種かもしれませんが・・)、企業側が積極的に後押しの声を上げてあげるだけで踏み出せる人は多いのではないでしょうか。特に大企業は十二分の給料があって自己投資に使えるだけの貯蓄が若手社員のうちからある人も多いので。(私自身も二年程ですがいわゆる大企業に勤めていたこともあり、特に出費を意識せず生活していてもそれなりに貯まった方だと思います)
勿論、リテラシーレベルであれば企業内研修で済むのではないか、実際企業向けに研修サービスを提供している企業はあるのだし・・と思われるかもしれません。ただ、「その程度」で本当に大丈夫でしょうか。
昨年度から、全ての大学生が身に着けるべき数理・データサイエンス・AIのリテラシーレベルの素養を身に着けさせるためのプログラムを開講する大学の認定制度というのが始まり、関連事業に年間10億円規模で文部科学省が予算をつけていたりもします。そのような現状を見ていて、企業がつけ刃の研修を始めたところで、本当に業務改善が図れるレベルの知識・素養が身に着けられるのかは疑問です。(少なくとも私が経験した大企業の研修では、プログラミングの基本的コードの書き方、デザイン思考を題材にしたワークショップ体験ができる程度のもので、あまりその後に繋がるものが得られたという気はしません)
また、欧米では修士・博士が当たり前と言われていますが、それは学部は教養課程で、専門性はそのあと身に着けるべきものという考えが強いためです。日本の大学も(文系は特に)殆ど勉強せずとも学士取得はできるのですから、その後どこかのタイミングで修士・博士レベルの専門性を身に着ける機会が与えられなければ同じ土俵で国際競争に勝てるわけありません。
最初は自腹で、業務後の時間を使ってというところからかもしれませんが、やはり一定の効果を感じられるようになってきたらゆくゆくはフルタイムで、また企業から生活上の保障も受けながら再教育を受けられるのが理想です。専門性は「ながらやり」ではなんだかんだ身に付きませんし、そんなタフな人も珍しいでしょうから。
まずは、どうやったら大企業のおっちゃんのマインドを変えられるかが一番の問題でしょうね。。私も中にいる時その問題はトライできませんでした(というか再教育の価値って自身の体験を以てじゃないと中々語りにくいんですよね・・なので私もここまで偉そうなこと言いながら果たしてその効果如何ってところは説得力を以て説明できないと思います)。
他人事な言い方になってしまいますが、企業マインドがこのまま変われなければどんどん競争に負けていって50年後、100年後のスパンで考えたら大企業といえど消えていってしまうのかもしれません。まあそれも栄枯盛衰というのであれば、受け入れられないこともないかもしれませんね。
最近流行りのテーマとしてDX人材を考えてみたものの、私自身「どげんかせんといかん!!」って程の熱量を感じてないので、若干ドライな文章になってしまった気がします😅日本ひいては人類の進歩のためには重要なテーマであるものの、今すぐ目の前で困っている人が出てくる話でもないからかもしれません。
ともあれ、教育の側面から考えるとDXに限らず様々な分野でリカレント教育の重要性は語れるものだと思っているので、企業の人材育成は適宜高等教育とも連携しつつどうあるべきなのか、今後も考えていきたいです。
では来週も頑張りましょう✊
ディズニー全集新刊✨やっぱり心洗われる~😊
今週は、最新作『ラーヤと龍の王国』に至るまで、ディズニーが生み出してきたありとあらゆる作品、そのバックにいたアニメーターやアーティスト、イマジニアの活躍秘話が纏められた全集(2021年5月発売)を入手したので、久々にディズニーの世界に浸っていました🙌(といいながらほぼ毎週ディズニー+で作品を鑑賞しているのですが笑)
ディズニー作品を観たことないって人はあまりいないんじゃないかなと思うんですが、大人になるとけっこう好き嫌いが分かれますよね。ジブリ作品とかに比べて分かりやすいテーマ、ストーリーラインが単純、子供っぽいという人もいるんですが、私は逆にそのシンプルなメッセージ性、真っ直ぐさみたいなのに惹かれて何年も何回もリピート鑑賞しています✌
中でもプリンセス作品は自分の人生や考え方にも少なからず影響を与えたと感じています。健気だけどどこか他力本願なプリンセスから、ピュアな情熱を持ち自分の力で切り拓こうとする強く優しい現代のプリンセスへ、時代とともに変わりゆくプリンセス像を面白く、心強く感じますし、彼女らそれぞれが持つ芯の強さ、聡明さ、信念のようなものに女性の強さと美しさを感じ取り、自分もそうでありたいとどこかで憧れを抱いてきました。
特に好きなのが『美女と野獣』のベルです。生粋のお嬢様ではない町娘、読書好きなところに親近感を覚えるとともに、頑固で変わり者と言われながらも、女性には本や勉強が不要と馬鹿にされていた時代の先を行く賢い女性で、家族想いの心優しい娘でもある彼女を素直に格好良いと思います。そんな真っ直ぐさ、気丈さに自分を重ね、黄色のドレス含めずっと憧れてきました😊
2017年に実写化された際、エマ・ワトソンが演じたベルがはまり役すぎて、何度も見返しました・・『ハリー・ポッター』のハーマイオニー役といい、エマ・ワトソンは賢く強く、優しく、そして美しい女性の生きざまを演じるのが本当に上手というか、彼女自身が役とともにそういう女性に成長してきたんだろうなと思わせるところがありますね、本当素晴らしい👏
ディズニーのすごいところは、作品・パークともに世界観の作り込みに妥協がないこと。これは多くの人が賛同してくれると思うんですが、作品制作にあたってもリサーチ旅行や多くの検証を重ね、ストーリー背景もキャラクターも演出も、全てが丁寧に作られているんだなというのが作品を観てて毎回感じ取れます。どんな分野も極めるのは難しいものですが、ディズニーはウォルトの頃からその拘りを嬉々として追求し、楽しく完璧に近づけていってる、そのワクワクが世界中の人に伝わり、魅了しているんだろうなと。書いてたらウォルト・ディズニー・カンパニーに入りたくなりますね~、オフィスも人もクリエイティビティに溢れていて、とても刺激的で楽しい毎日なんだろうなと妄想します。笑
日本は従来、趣味を仕事にしない方がいい、仕事は遊びじゃないんだから気合い・根性で歯食いしばって頑張るものなんだ!という昭和の価値観が蔓延してきましたが、漸く最近になって「好きを仕事にする」ことの魅力を体現する人たちが現れてきてますよね。ディズニーはまさにその権化、引き続き見習いたいところです🌟
また、ディズニー作品は音楽からも目が(耳が?)離せません!アカデミー賞にも多くの部門でノミネート・受賞に至っており、正に作品そのものが総合芸術なのですが、特に1990年代以降のディズニー作品は音楽の魅力が半端ないです><
アラン・メンケンとハワード・アシュマンという黄金コンビは広く知られるところですが、彼らによって、アニメーションの強み押しだったディズニー作品は、ブロードウェイミュージカルとの出会い・融合を果たし、インスピレーションに恵まれた次のステージへと突き進むことになったのです。90年代以降のヒット作品の創出力といったら・・ウォルトが亡くなり、それまでスタジオを牽引してきたナイン・オールドメンと言われる精鋭部隊も続々と引退し方向性を見失いかけているようにも見えたディズニーを「不朽」にし、絶対的地位に至らしめたのはこの頃なのではないかと思います。
と、雑駁な文章になってしまいましたが、私はこれからもディズニー作品を愛し続けますし、子供ができたらできるだけ多く一緒に観て、また新鮮な感動を味わいたい、そして子供にも真っ直ぐな想いを何か感じ取って器の大きな人になってほしい、心からそう思います^^
最後に、私が一番好きな言葉を紹介して終えたいと思います✍
「逆境で咲く花は、その尊さと美しさを増すという」(映画『ムーラン』より)
辛いとき、苦しいときこそ強さと優しさを忘れず誰かのために立ち上がれる、そんな人でありたいです。ちなみに、雑誌『ディズニーファン』7月号で誕生年月日からどのプリンセスタイプかを占えるページがあって、見事ムーランだったのが嬉しかったです😊
(そこはベルじゃないんかーいという感じですが、詰まるところみんな魅力的なんです、ディズニープリンセスは(笑)好きな言葉第一位がムーランなのは本当です。)
ではでは、素敵な1週間を!!
いじめの考察~ドラマ『ライフ』から~
個を生かす教育の実現も、先生の働き方が変わらなければ始まらない😢助けたいけどどうしたら・・?
GW明け疲れますよね~ちょっと蒸し暑さも感じてくる今日この頃、有休をとって箱根旅行を満喫しつつ思想の旅へ。。。
さて、今週手に取ったのは山口裕也さんという、杉並区の教育委員会で研究員をされている方が書いた『教育は変えられる』という本です。表紙に「これからの教育が向かうべきビジョンとロードマップのすべてがここに描かれている」となんとも興味をそそる一言があったのですが、読後の感想としては私の問題意識を大きく外れるものではなかったなあというところでしょうか。書かれていた問題が浅いということではなく、むしろ根深い問題すぎて、この本に書かれている杉並区の事例だけでは語り尽くせないのだろうと思い、壁を突破しきれない気持ちになったのです。
作中に何度も出てきて著者が一番主張したかったであろうことは、「皆同じ」から「皆違う」への発想の転換、またそれに伴うあるべき教師像の役割変化です。私自身いわゆる「ゆとり世代」で、「みんな違ってみんないい♪」「ナンバーワンにならなくてもいい、元々特別なオンリーワン♬」といったどこぞの歌で聞くようなセリフを浴びてきた一人であって、その価値観には大賛成です。大量生産時代に繰り広げられた激しい競争社会、24時間働けますかの根性理論を生き抜いたおじさまたちには確かにある種の尊敬の念は抱きますが、時代の進化と合わせて人の価値観もアップデートすべきです(勿論みながより楽しく、楽に暮らせる方向に)。
人は元来異なるバックグラウンド、趣味嗜好を持つものであるはずで、それらを殺さず生かし合うことでより充実した未来を築けることが理解できれば、職場における適材適所は勿論、学校での学びにおいても、弱点の克服は社会常識レベルで最低限にしておいて、得意を伸ばし刺激し合える環境を作る重要性に気付けるはずです。
ただ、個性を尊重しそれぞれの可能性の芽と向き合うにも、先生のキャパオーバー状態では無理です。今回読んだ本は、教育委員会という公教育の基盤作りを行う立場から書かれており、いわゆる官僚制に代表される縦割り・当事者意識の不在という課題をクリアするためのヒントは書かれていましたが(それも人員・財源を割くというシンプルな発想が根源的な課題解決に繋がっているようにも思えましたが最終的にはそういうところになってしまうのかなと・・)、あくまで行政機関で働く公務員の意識改革に資する話だったように思います。特に、教育委員会が地域の学校を「監督・管理する」というマインドから「支援する」という発想に切り替えることは現場感覚を生かす上でとても重要かと。
しかしながら、現場の先生は目の前の子供たちが繰り広げる葛藤、成長のドラマに毎日出会っており、言われずとも当事者意識は持っているところ、生徒の個に向き合う時間や労力が十分に割けていないことに苛立ち・やるせなさを感じているのだと思います。GIGAスクールで1人1台端末が整備されることが校務の削減、学習・成績管理の効率化に資するとも言われていますが、ICTを活用した授業設計を確立するまでの労力については軽視されており、結果サポートは十分といえるものではなく自治体によっては端末が納品されたというだけで配られていない、生徒が使える状態になっていない例もたくさんあると聞きます。こういった授業関連の対応は勿論、部活動の顧問を掛け持ちしている教員はより大変です。
文部科学省が教職員志望者や教職員同士の志気向上に資するようにと始めた「教師のバトン」プロジェクト(ツイッターのハッシュタグ機能を活用して教員からの意見・エピソードをリツイートしていくもの)でも、心温まる日々の成長物語というよりは働き方改革が進まない現状への憤りが感じられるものも沢山寄せられているようです。
じゃどうするか。この本でもチーム学校の取組が書かれていますが、私も限られた学校職員だけで生徒一人ひとりに向き合うことには限界を感じており、上記のICTサポーター、部活動顧問含め、外部人材の活用をどんどん進めていくべきだと思うのです。
教職員の方は働き方改革というと、今ある業務量を減らすことをまず考えられる方も多いかもしれませんが、部活動顧問にしてもレポートの採点にしても、生徒の誰かにはとても重要かもしれない業務を一律になくすというのは危険かもしれません。一方で全てを担任の先生や学校内の教職員だけで担うには荷が重すぎる、そう少しでも感じるのであればもっと外の人を頼ってほしいのです。
私は2年間民間企業に勤めていましたが、ちょうどSDGsやESG投資が盛り上がってきた頃でもあり、社会貢献事業と位置付けて出張授業のようなもの始めキャリア教育や、帰国子女が多い会社ということもあってかインクルーシブ教育といったテーマでいくつかプロジェクトを作ろうとしていたことがありました。私は途中で転職してしまったため最後までプロジェクトの遂行には携われませんでしたが、その活動を通して思ったのは、「一般企業で働くサラリーマンたちも教育に貢献したいと思っている」ということでした。
お子さんをお持ちの方も多いですし、当たり前といえば当たり前なのかもしれませんが、寄付文化にしてもさほど大きな抵抗なく受け入れられ、利益が出なくてもいいから参加したいと思ってくれるプロジェクトが実施できる分野であるという点で、教育は他の産業と比べて大きなアドバンテージを持っており、サポートが受けやすいテーマであることは間違いありません。これを先生方にはもっと上手く利用してほしいです。
学校という世界は自分達の学生時代を思い返しても想像できるように狭い世界で、一定の慣習・風土が根付きやすい環境ではあると思います。ただ、そこに甘んじずオープンマインドで声をあげれば、いくらでも救いの手は得られるのはないかなと。
学校という場は特殊で、民間企業とは違って教育委員会・文部科学省といった行政機関の指針をより絶対的なものとして見る傾向があるように思います。その裏返しで、中央がマニュアル的に手順や内容を示してくれないとできないといった声もあがりやすいように思います。そこを変えていくには・・ここまで考えてみると、もしかしたら教職員の方は、目の前の子供たちの指導への当事者意識はあってもその変え方、授業設計の方向性の舵取りについてはまだどこか「決めてもらう」のを待っているのところがあるのかもしれません。
『教育は変えられる』でも言われている当事者意識は行政機関だけに求めるべきものではなく、行政機関が現場の「サポート」をより真剣に、実効性のあるものにしていくためにも、現場の先生方自身も当事者意識を持って必要なタイミングで「助けて!」と主張することが必要な気がします(単に働き方改革といったざっくりとした業務削減の方向性ではなく、チーム学校的な発想における業務分担の方向で、「こういった人材・機器のサポートがほしい」など)。
こういった現場発信の問題意識に基づいた「地に足のついた」サポート活動をしていくうちに、民間の人材を活用するのに必要なこういう財政支援・システム構築が整ってない、法整備が新たに必要、など行政機関が担うべき制度面の課題もより具体性を帯びた議論が可能になると思うのです。どの分野においても現場が一番面白く、主張の説得性が高いこと、この社会人経験の数年でも感じたところです。
とはいえ、「その課題発信するための頭の整理の時間もないんだよ!」「日々目の前の業務に忙殺されるだけでエネルギー切れだよ!」といった声も聞こえてくるような気がします。そんなんじゃずっと現場からの発信もなく、上から適時適切なサポートが自動で降ってくるわけでもなく、コミュニケーション不成立で結局何も変わらず終わってしまう・・果たしてそれでいいのでしょうか。ここからが私の本当の問題意識です。
たしかに、どの組織においても中から変えていくというのはとても難しいことです。だから民間企業でいえばコンサルのような存在が経営改革に一役買ったり助言を与えることも多いのです。学校現場においても、外部の人が関わりやすい環境があればな・・と思うところ、色々と複雑な事情もあって先生達も気軽に外部への助けを求められない(正規ルートでも個人的なツテでも)状況なのかもしれません。。ここをどう切り込んで素直にSOSを出せる状況にしていけるのか、今後考えていきたいと思います。どこまでいっても想像論しか繰り広げられないので、いつか現場に飛び込んでみる必要があるのかなとも。
今はひとまず、私も目の前のマグロ漁船に酔わないよう目の前の業務一つひとつに当たれたらと思います。全国の先生、ファイト!!!
久っ々の更新🖋~今後の方針も含め~
モラトリアムと主体性~自分何したいんだっけ?症候群~
何がしたくてこの組織に入ったんだっけ・・若手社会人の多くが一度は考えたことのある悩みじゃないかと思います。最近(振り返れば社会人になってからずっとかもしれません?笑)、私もそういう思いに駆られました。
私の場合、一度の転職を経てライフワークは教育分野って決めてるんですが、今目の前にしている仕事がどうも思い描いていたビジョンや問題意識の解決に繋がっている気がしなくてもやもやしながら日々をこなしています。
本当は、環境を選べず自尊心も持てないで可能性の芽が摘まれそうになっている子供たちに寄り添って、より多くのチャンスを与えられるようなことがしたいと思っているのに、目の前にあるのは文書作成や進展性のない面会対応など、大事だし誰かがやらなきゃいけないことなのかもしれないけど、もどかしいことばかり。そういう雑務をこなした上でプロアクティブな発想をする元気も残ってないし、先輩達の仕事への向き合い方もどこかで諦めてしまったのか間違ってる気がする・・そんななんともやるせない日々が続いています。
組織って難しいですよね、仕事内容を選り好みはできないし自分の向き不向き、好き嫌いを押し殺してでも課せられた業務命令はほぼ絶対。今は自分の好きや得意をいくらでも仕事にできる時代になってきていて、それを体現している人たちも沢山いるので、ますます「組織で経験を積む」って決めた自分の選択を疑ってしまいたくなる瞬間が多々あって。。
自分の選択を後悔してるわけじゃないです。ただ、自分だけでなくそれぞれ熱い想いを持って同じ組織に入った同期とかが苦しんでるのを見るとますます、頭や心をただ「卒なくこなす」ために使うんじゃなくて、もっと寄り添うべき人のためプラスに使うためにどうしたら業務改善できるか、あるいはもっと良い意味での「ゆとり」を持つために職員を増やす、最新機器を導入するなどの環境変化をもたらせるか、真剣に考えてしまいます。まあ、闇が深すぎて一朝一夕に希望の光が見えてきそうな問題ではないのですが😢
まずは自分がやれることを無理ない範囲で気長に、長期的に考えていきたいと思います。
さて、話題は少し変わりますが、先日も少し紹介した文部科学省の取組「Scheem-D」のピッチイベント本番が2月19日(金)に行われました!
私も大学のデジタライゼーションを見守りたい一員として視聴したのですが、学生による評価システム構築とそれによる主体性育成や、学生の勉学へのモチベーションを高め中退を防ぐためのカリキュラム・進路情報の共有システムなど、本当に色々な取組についてのアイデア披露がされてましたね。
ただ、これはマッチングのきっかけとなる「イベント」の位置づけなので、ここから互いのニーズを満たし合えるパートナーを見つけて実際の研究開発、実証に繋げ、各キャンパスへの普及を図る必要があります。今のところ、文科省としてはこのイベントを継続的に行い、適宜フォローアップも行うとしていますが、役所は激務かつ人事異動が激しく、ただでさえ継続的な事業を苦手とする組織文化である上に、こういう新しい取組支援って、一般企業が自社内コンペでも相当のリソースを割いていることからも分かるようにそんな簡単なことじゃありません。
今回のピッチイベントで披露されたアイデアのうち、何件が実証までこぎつけるのか、正直多大なフォローが見込めない役所の事業としては不安なところもあります。高等教育のデジタル化に特化した専門チームを設置して継続的にピッチイベントを開催、またメンターとしてもフォローしていってほしいと思いますが、どのような形でこの取組が発展あるいは解消されていくのか、注目したいところです。
それにしても、このイベントで紹介されたアイデアを見ていてつくづく思い知らされたのは、「日本の大学生の主体性の低さ」でした。
デジタル技術も活用しながら授業の質改善が図られ、勉学に面白みを見つけ、主体的に学ぶ姿勢に繋がっていけばいいと私も考えていますが、前提としてなぜこんなに学びへの主体性が育っていないのだろうかと考えざるを得ません。
その一端はやはり初等中等教育段階にもあるのかもしれません。受験勉強のHow toは一生懸命教えても、どうやって物事を考え、困難を乗り越え、問題を解決するのか、自分とはどのような人間で何がしたいのか、こういう根本的な、学習指導要領でも言われていたような言葉を引用するなら「生きる力」のようなものの育成は不十分なのではないかと。
しかし、私はそれだけではないと思います。大学生になったらいきなり何もかも分かるようになって、自分のすべきことも完全にクリアで、そのためのスキル習得に一直線、なんてほぼ幻想じゃないかと思います。人によっても成長スピードは違いますし、人生のどのステージで気づきを得て、心の底から学びたいと思うかも人それぞれです。ある程度の基礎知識を定着させた大学生だって、自分は何をすべきかわからない、だから勉学にも思うように打ち込めない、そんなモラトリアム期間を過ごしているのです。
私は自分の経験からいっても、別に勉強だけが大学生の本分ではないと思っています。部活動やサークル、アルバイト、留学、放浪旅、どれもかけがえのない経験や学びを得られる可能性を秘めていますし、時間と自由がある大学生にしか許されていないことは沢山あります。
「学びへの主体性」とは、自分の進むべき道を見極める能力、そしてその道を切り拓くために必要な知見を獲得する気力や推進力、こういったものなんだと思います。
いつかの記事でも書いたように、現在の大学生はジョブ型雇用のトレンド等も相まって具体的スキルが求められるようになってきており、それはたしかに授業から獲得できる専門知も含まれるでしょう。ただ、どこで必要なスキルを得るかは指定されていません。授業外の独自の努力でも構わない、むしろ自分の足で立って進むべき道を開拓できる主体性こそ、VUCA社会には欠かせない素養ではないでしょうか。
たから、以前言ったことと矛盾しているかもしれませんが笑、授業の質改善を受動的に待つだけでなく、大学生達には世界に潜むあらゆる課題を知り、その解決の一端を担うために自らがやるべきこと、学ぶべきことを明確にしていってほしいです。(勿論、授業改善の努力も継続的に行われるべきですが、どうも一足飛びには難しい部分が多々ありそうなので・・)
時間は有限です。大人たちも一生懸命、より勉学へのモチベーション向上のためのアイデアを出そうとしていますが、何のために学ぶのか、それを何に生かしていくのか、決められるのは学生自身なのです。人によっては大学生のうちだけでは足りず、将来社会人になってからもう一度学び直しに戻ってくるかもしれません。それでもいい、学びの扉は常に開かれているべきなのですから。でも主体性という心の灯は、最後は自分で点け続けるしかないのです。
こう考えていると、本当に必要なのは授業改善そのものというよりも、授業に限らず、学生自身の主体性を育む「気づき」を与えらえるような機会創出の手段を考えることなのかもしれないなと思いました。それは、初等中等教育段階でも行われているキャリア教育にも通ずるような、現在活躍している社会人との繋がりからヒントを得られるものかもしれませんし、地域社会や学内外の同級生らとの交流によるものもあるかもしれません。
大学生というのは、自ら関わっていこうと思えば社会人、学外、世界中、誰とでも繋がっていけるチャンスは多く存在していますが、主体性がまだ十分育まれていない大学生達にそういう機会を作ってあげようとするのは、案外高校生以下の授業カリキュラムに組み込むこと以上に難しいようにも思えます。ただ、現実として日本の大学生はその主体性に弱みがまだまだあるということで、デジタル技術を活用してでもしなくてでも、何かできることはないかなあと、もう少し思案したいと思います。
2月は平日にぽつんと休日がある週が2回もあって、なんか不思議な感じですね。明日から3日間も頑張ります🌟
ハッピーバレンタインデー💗
今日は2月14日、そうバレンタインデーでした✨
運よく今年は日曜日だったので横浜に繰り出したのですが、あちらこちらにカップルの姿が・・まだ宣言下ではありますが、やはりこんな良い天気☀家の中でずっと動画を見たり勉強したりしてても鬱憤としますよね。
さて、バレンタインデーに女性が男性にチョコなどのお菓子をあげるという習慣が、とあるお菓子メーカーの商品戦略であり、日本ではつい最近広まった習慣であることはもはや有名な話です。バレンタインの由来が聖ウァレンティヌスという、3世紀後半当時ローマ帝国で禁じられていた結婚の儀式を密かに執り行い処刑されたキリスト教司祭であるということも、多くのサイトで紹介されています。
でも不思議ですよね。当時のローマにもルぺルカリア祭という豊作を祈る祭りの直前に、女性の名前が書かれた札を男性が引き、その札に書いてある女性と付き合う(祭りの間だけでなく本当に恋に落ちたカップルも多くいたそうです)という儀式があったようです。つまり、男女を引き合わせるイベントはあったのに、当時の皇帝は若者が戦争に行きたがらない理由を結婚に結び付け禁じてしまった。そのために、当時のカップル達は行き場のない恋に胸を痛めるしかなかった。聖ウァレンティヌスは彼らにとってまさに、愛の守護神のような存在だったに違いありません。
このエピソードから思うことが3つ。1つ目は、為政者の弱い心、それ故の間違った判断がもたらす犠牲の大きさです。
当時の皇帝クラウディウス2世は、出兵したがらない青年、士気の上がらない兵士という社会課題の原因を、結婚による故郷への愛着心と結論付けたのです。でも考えてみれば、故郷を想い、できることならずっと愛する家族と一緒にいたいというのは、古今東西共通の感情ではないでしょうか。ただ、どの時代でも悲しいかな戦争は存在し、意志に反して参戦せざるを得なかった若者はたくさんいるのです。
つまり、当時のローマ皇帝は良く言えば「故郷に愛する家族を残して出兵する若者の何とも言えず悲しい顔を見ることが忍びなかった」、悪く言えば「国のために(自分のために)誇らしく、果敢に戦う姿を中々見せてくれない兵士たちにやきもきした」ということです。
ただ、繰り返すようですが、洗脳教育でも受けていない限り、命を落とし二度と愛する家族と会えなくなるかもしれない戦争に進んで飛び込む人なんて普通いません。それを指示してでも国を守るべき立場にある為政者は、戦争が人々にもたらす深い悲しみ、苦しみ、また批判を背負い、共に乗り越える覚悟があるのか何度も自分の心に問うべきです。その覚悟がないのなら勿論そんな指示を出すべきではないですし、もし覚悟があるのなら、戦争をしてでも実現すべきビジョンを提示した上で、士気を高めるべく、国民にさらなる負担を強いるのではなく、自らが努力をすべきです。
そういう姿勢を見せられず、士気が上がらないことを若者自身の問題にしたことは、為政者たるにふさわしい心の強さがなかったんだろうなと感じてしまいました。
そして2つ目は、聖ウァレンティヌスのような偉人が紡いできた道の上に私達がいるのだなということ。これは当然といえば当然かもしれませんが、けっこう私は昔からアンネフランクやエジソン、マザーテレサ、ゴッホといった伝記を読んでは感銘を受ける質なのです。自分も生まれたからには何かしら信念を持って、100年後の未来に繋がる価値を残したいと密かに思って毎日生きてます。
なので、こういう自らを犠牲にして誰かの幸せ、価値ある何かを示そうと全力で生きた人のことを知るとどこか胸の熱くなる思いがしますね。命を懸ける、一生懸命って、言うほど簡単なことではないはずですよね絶対。まして、自分の家族でもなく他人のためになんて。
今はかなり平和な世の中になって、深刻に「どげんかせんといかん!」みたいな憤りを感じる機会は少なくなってると思いますが、それでも社会課題と呼ばれるものはまだまだ存在していますし、私のライフワークである教育分野でいえば、貧困に苦しむ子供、居場所のない子供、自尊心の育たない子供など、日々直接触れられていないだけで潜んでいる問題は沢山あると思うので、自分なりに全力で、後世に残せる価値創出を頑張っていきたいなと。
さて、バレンタインデーからどんどん離れていってる気がしますが・・最後3つ目。
これは、恋愛の形も色々という柔軟な価値観が比較的新しいものなのだなということ。
3世紀後半当時、結婚が禁じられていたわけですが、現代の感覚からすれば「じゃ事実婚で良いんじゃない」という発想もあると思います。結婚していなくても、カップルとして互いを思いやり、満たし合うことができれば円満な関係は築けるわけです。
しかしまあ勿論、当時そのような考えは「常軌を逸している」以外の何物でもないでしょう。。結婚していなければ子供を産むための男女の営みはおろか、そういった関係を匂わせる行為(キスやハグ)もできなかった環境だろうと思料します。それじゃ、結婚も禁じられていては何もできないじゃないか!となるわけですよね。その怒り?アドレナリン?を戦争にぶつけろということだったのかもしれませんが、そういう負の感情をエネルギー源にしたパワーってあんまり持続性ない気がします。常に気が立った状態にしておくのも大変そう。。って動物の調教じゃあるまいし、そんな風に兵士の育成を考えないでほしいですね。。
それに無論、この時代は前提として男女のカップルしか社会的には想定されていないわけですが、LGBTに属する人達にとっては結婚以前に恋愛感情すらおおっぴろげにできない、苦難の時代がつい最近まで続いていたのです。聖ウァレンティヌスが当時そのような人々の存在に気づいていたのか定かではないですが、きっとどのようなカップルにとっても愛の守護神としての振る舞いを貫いてくれただろうと信じたいです。
考えれば考える程、現代に生まれて幸せだなあと感じるバレンタインデーでした。
(なんかいつにも増して唐突な終わり方な気がしますがすみません笑)
それでは、良い1週間を👋
Happy Valentine's Day💗