モラトリアムと主体性~自分何したいんだっけ?症候群~

何がしたくてこの組織に入ったんだっけ・・若手社会人の多くが一度は考えたことのある悩みじゃないかと思います。最近(振り返れば社会人になってからずっとかもしれません?笑)、私もそういう思いに駆られました。

私の場合、一度の転職を経てライフワークは教育分野って決めてるんですが、今目の前にしている仕事がどうも思い描いていたビジョンや問題意識の解決に繋がっている気がしなくてもやもやしながら日々をこなしています。

本当は、環境を選べず自尊心も持てないで可能性の芽が摘まれそうになっている子供たちに寄り添って、より多くのチャンスを与えられるようなことがしたいと思っているのに、目の前にあるのは文書作成や進展性のない面会対応など、大事だし誰かがやらなきゃいけないことなのかもしれないけど、もどかしいことばかり。そういう雑務をこなした上でプロアクティブな発想をする元気も残ってないし、先輩達の仕事への向き合い方もどこかで諦めてしまったのか間違ってる気がする・・そんななんともやるせない日々が続いています。

 

組織って難しいですよね、仕事内容を選り好みはできないし自分の向き不向き、好き嫌いを押し殺してでも課せられた業務命令はほぼ絶対。今は自分の好きや得意をいくらでも仕事にできる時代になってきていて、それを体現している人たちも沢山いるので、ますます「組織で経験を積む」って決めた自分の選択を疑ってしまいたくなる瞬間が多々あって。。

自分の選択を後悔してるわけじゃないです。ただ、自分だけでなくそれぞれ熱い想いを持って同じ組織に入った同期とかが苦しんでるのを見るとますます、頭や心をただ「卒なくこなす」ために使うんじゃなくて、もっと寄り添うべき人のためプラスに使うためにどうしたら業務改善できるか、あるいはもっと良い意味での「ゆとり」を持つために職員を増やす、最新機器を導入するなどの環境変化をもたらせるか、真剣に考えてしまいます。まあ、闇が深すぎて一朝一夕に希望の光が見えてきそうな問題ではないのですが😢

まずは自分がやれることを無理ない範囲で気長に、長期的に考えていきたいと思います。

 

さて、話題は少し変わりますが、先日も少し紹介した文部科学省の取組「Scheem-D」のピッチイベント本番が2月19日(金)に行われました!

minsemma.hatenablog.com

私も大学のデジタライゼーションを見守りたい一員として視聴したのですが、学生による評価システム構築とそれによる主体性育成や、学生の勉学へのモチベーションを高め中退を防ぐためのカリキュラム・進路情報の共有システムなど、本当に色々な取組についてのアイデア披露がされてましたね。

 

ただ、これはマッチングのきっかけとなる「イベント」の位置づけなので、ここから互いのニーズを満たし合えるパートナーを見つけて実際の研究開発、実証に繋げ、各キャンパスへの普及を図る必要があります。今のところ、文科省としてはこのイベントを継続的に行い、適宜フォローアップも行うとしていますが、役所は激務かつ人事異動が激しく、ただでさえ継続的な事業を苦手とする組織文化である上に、こういう新しい取組支援って、一般企業が自社内コンペでも相当のリソースを割いていることからも分かるようにそんな簡単なことじゃありません。

今回のピッチイベントで披露されたアイデアのうち、何件が実証までこぎつけるのか、正直多大なフォローが見込めない役所の事業としては不安なところもあります。高等教育のデジタル化に特化した専門チームを設置して継続的にピッチイベントを開催、またメンターとしてもフォローしていってほしいと思いますが、どのような形でこの取組が発展あるいは解消されていくのか、注目したいところです。

 

それにしても、このイベントで紹介されたアイデアを見ていてつくづく思い知らされたのは、「日本の大学生の主体性の低さ」でした。

デジタル技術も活用しながら授業の質改善が図られ、勉学に面白みを見つけ、主体的に学ぶ姿勢に繋がっていけばいいと私も考えていますが、前提としてなぜこんなに学びへの主体性が育っていないのだろうかと考えざるを得ません。

 

その一端はやはり初等中等教育段階にもあるのかもしれません。受験勉強のHow toは一生懸命教えても、どうやって物事を考え、困難を乗り越え、問題を解決するのか、自分とはどのような人間で何がしたいのか、こういう根本的な、学習指導要領でも言われていたような言葉を引用するなら「生きる力」のようなものの育成は不十分なのではないかと。

 

しかし、私はそれだけではないと思います。大学生になったらいきなり何もかも分かるようになって、自分のすべきことも完全にクリアで、そのためのスキル習得に一直線、なんてほぼ幻想じゃないかと思います。人によっても成長スピードは違いますし、人生のどのステージで気づきを得て、心の底から学びたいと思うかも人それぞれです。ある程度の基礎知識を定着させた大学生だって、自分は何をすべきかわからない、だから勉学にも思うように打ち込めない、そんなモラトリアム期間を過ごしているのです。

 

私は自分の経験からいっても、別に勉強だけが大学生の本分ではないと思っています。部活動やサークル、アルバイト、留学、放浪旅、どれもかけがえのない経験や学びを得られる可能性を秘めていますし、時間と自由がある大学生にしか許されていないことは沢山あります。

「学びへの主体性」とは、自分の進むべき道を見極める能力、そしてその道を切り拓くために必要な知見を獲得する気力や推進力、こういったものなんだと思います。

いつかの記事でも書いたように、現在の大学生はジョブ型雇用のトレンド等も相まって具体的スキルが求められるようになってきており、それはたしかに授業から獲得できる専門知も含まれるでしょう。ただ、どこで必要なスキルを得るかは指定されていません。授業外の独自の努力でも構わない、むしろ自分の足で立って進むべき道を開拓できる主体性こそ、VUCA社会には欠かせない素養ではないでしょうか。

 

たから、以前言ったことと矛盾しているかもしれませんが笑、授業の質改善を受動的に待つだけでなく、大学生達には世界に潜むあらゆる課題を知り、その解決の一端を担うために自らがやるべきこと、学ぶべきことを明確にしていってほしいです。(勿論、授業改善の努力も継続的に行われるべきですが、どうも一足飛びには難しい部分が多々ありそうなので・・)

時間は有限です。大人たちも一生懸命、より勉学へのモチベーション向上のためのアイデアを出そうとしていますが、何のために学ぶのか、それを何に生かしていくのか、決められるのは学生自身なのです。人によっては大学生のうちだけでは足りず、将来社会人になってからもう一度学び直しに戻ってくるかもしれません。それでもいい、学びの扉は常に開かれているべきなのですから。でも主体性という心の灯は、最後は自分で点け続けるしかないのです。

 

こう考えていると、本当に必要なのは授業改善そのものというよりも、授業に限らず、学生自身の主体性を育む「気づき」を与えらえるような機会創出の手段を考えることなのかもしれないなと思いました。それは、初等中等教育段階でも行われているキャリア教育にも通ずるような、現在活躍している社会人との繋がりからヒントを得られるものかもしれませんし、地域社会や学内外の同級生らとの交流によるものもあるかもしれません。

大学生というのは、自ら関わっていこうと思えば社会人、学外、世界中、誰とでも繋がっていけるチャンスは多く存在していますが、主体性がまだ十分育まれていない大学生達にそういう機会を作ってあげようとするのは、案外高校生以下の授業カリキュラムに組み込むこと以上に難しいようにも思えます。ただ、現実として日本の大学生はその主体性に弱みがまだまだあるということで、デジタル技術を活用してでもしなくてでも、何かできることはないかなあと、もう少し思案したいと思います。

 

2月は平日にぽつんと休日がある週が2回もあって、なんか不思議な感じですね。明日から3日間も頑張ります🌟