ハッピーバレンタインデー💗

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今日は2月14日、そうバレンタインデーでした✨

運よく今年は日曜日だったので横浜に繰り出したのですが、あちらこちらにカップルの姿が・・まだ宣言下ではありますが、やはりこんな良い天気☀家の中でずっと動画を見たり勉強したりしてても鬱憤としますよね。

 

さて、バレンタインデーに女性が男性にチョコなどのお菓子をあげるという習慣が、とあるお菓子メーカーの商品戦略であり、日本ではつい最近広まった習慣であることはもはや有名な話です。バレンタインの由来が聖ウァレンティヌスという、3世紀後半当時ローマ帝国で禁じられていた結婚の儀式を密かに執り行い処刑されたキリスト教司祭であるということも、多くのサイトで紹介されています。

 

でも不思議ですよね。当時のローマにもルぺルカリア祭という豊作を祈る祭りの直前に、女性の名前が書かれた札を男性が引き、その札に書いてある女性と付き合う(祭りの間だけでなく本当に恋に落ちたカップルも多くいたそうです)という儀式があったようです。つまり、男女を引き合わせるイベントはあったのに、当時の皇帝は若者が戦争に行きたがらない理由を結婚に結び付け禁じてしまった。そのために、当時のカップル達は行き場のない恋に胸を痛めるしかなかった。聖ウァレンティヌスは彼らにとってまさに、愛の守護神のような存在だったに違いありません。

 

このエピソードから思うことが3つ。1つ目は、為政者の弱い心、それ故の間違った判断がもたらす犠牲の大きさです。

当時の皇帝クラウディウス2世は、出兵したがらない青年、士気の上がらない兵士という社会課題の原因を、結婚による故郷への愛着心と結論付けたのです。でも考えてみれば、故郷を想い、できることならずっと愛する家族と一緒にいたいというのは、古今東西共通の感情ではないでしょうか。ただ、どの時代でも悲しいかな戦争は存在し、意志に反して参戦せざるを得なかった若者はたくさんいるのです。

つまり、当時のローマ皇帝は良く言えば「故郷に愛する家族を残して出兵する若者の何とも言えず悲しい顔を見ることが忍びなかった」、悪く言えば「国のために(自分のために)誇らしく、果敢に戦う姿を中々見せてくれない兵士たちにやきもきした」ということです。

ただ、繰り返すようですが、洗脳教育でも受けていない限り、命を落とし二度と愛する家族と会えなくなるかもしれない戦争に進んで飛び込む人なんて普通いません。それを指示してでも国を守るべき立場にある為政者は、戦争が人々にもたらす深い悲しみ、苦しみ、また批判を背負い、共に乗り越える覚悟があるのか何度も自分の心に問うべきです。その覚悟がないのなら勿論そんな指示を出すべきではないですし、もし覚悟があるのなら、戦争をしてでも実現すべきビジョンを提示した上で、士気を高めるべく、国民にさらなる負担を強いるのではなく、自らが努力をすべきです。

そういう姿勢を見せられず、士気が上がらないことを若者自身の問題にしたことは、為政者たるにふさわしい心の強さがなかったんだろうなと感じてしまいました。

 

そして2つ目は、聖ウァレンティヌスのような偉人が紡いできた道の上に私達がいるのだなということ。これは当然といえば当然かもしれませんが、けっこう私は昔からアンネフランクやエジソンマザーテレサゴッホといった伝記を読んでは感銘を受ける質なのです。自分も生まれたからには何かしら信念を持って、100年後の未来に繋がる価値を残したいと密かに思って毎日生きてます。

なので、こういう自らを犠牲にして誰かの幸せ、価値ある何かを示そうと全力で生きた人のことを知るとどこか胸の熱くなる思いがしますね。命を懸ける、一生懸命って、言うほど簡単なことではないはずですよね絶対。まして、自分の家族でもなく他人のためになんて。

今はかなり平和な世の中になって、深刻に「どげんかせんといかん!」みたいな憤りを感じる機会は少なくなってると思いますが、それでも社会課題と呼ばれるものはまだまだ存在していますし、私のライフワークである教育分野でいえば、貧困に苦しむ子供、居場所のない子供、自尊心の育たない子供など、日々直接触れられていないだけで潜んでいる問題は沢山あると思うので、自分なりに全力で、後世に残せる価値創出を頑張っていきたいなと。

 

さて、バレンタインデーからどんどん離れていってる気がしますが・・最後3つ目。

これは、恋愛の形も色々という柔軟な価値観が比較的新しいものなのだなということ。

3世紀後半当時、結婚が禁じられていたわけですが、現代の感覚からすれば「じゃ事実婚で良いんじゃない」という発想もあると思います。結婚していなくても、カップルとして互いを思いやり、満たし合うことができれば円満な関係は築けるわけです。

しかしまあ勿論、当時そのような考えは「常軌を逸している」以外の何物でもないでしょう。。結婚していなければ子供を産むための男女の営みはおろか、そういった関係を匂わせる行為(キスやハグ)もできなかった環境だろうと思料します。それじゃ、結婚も禁じられていては何もできないじゃないか!となるわけですよね。その怒り?アドレナリン?を戦争にぶつけろということだったのかもしれませんが、そういう負の感情をエネルギー源にしたパワーってあんまり持続性ない気がします。常に気が立った状態にしておくのも大変そう。。って動物の調教じゃあるまいし、そんな風に兵士の育成を考えないでほしいですね。。

それに無論、この時代は前提として男女のカップルしか社会的には想定されていないわけですが、LGBTに属する人達にとっては結婚以前に恋愛感情すらおおっぴろげにできない、苦難の時代がつい最近まで続いていたのです。聖ウァレンティヌスが当時そのような人々の存在に気づいていたのか定かではないですが、きっとどのようなカップルにとっても愛の守護神としての振る舞いを貫いてくれただろうと信じたいです。

 

考えれば考える程、現代に生まれて幸せだなあと感じるバレンタインデーでした。

(なんかいつにも増して唐突な終わり方な気がしますがすみません笑)

それでは、良い1週間を👋

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Happy Valentine's Day💗