個を生かす教育の実現も、先生の働き方が変わらなければ始まらない😢助けたいけどどうしたら・・?

GW明け疲れますよね~ちょっと蒸し暑さも感じてくる今日この頃、有休をとって箱根旅行を満喫しつつ思想の旅へ。。。

 

さて、今週手に取ったのは山口裕也さんという、杉並区の教育委員会で研究員をされている方が書いた『教育は変えられる』という本です。表紙に「これからの教育が向かうべきビジョンとロードマップのすべてがここに描かれている」となんとも興味をそそる一言があったのですが、読後の感想としては私の問題意識を大きく外れるものではなかったなあというところでしょうか。書かれていた問題が浅いということではなく、むしろ根深い問題すぎて、この本に書かれている杉並区の事例だけでは語り尽くせないのだろうと思い、壁を突破しきれない気持ちになったのです。

 

作中に何度も出てきて著者が一番主張したかったであろうことは、「皆同じ」から「皆違う」への発想の転換、またそれに伴うあるべき教師像の役割変化です。私自身いわゆる「ゆとり世代」で、「みんな違ってみんないい♪」「ナンバーワンにならなくてもいい、元々特別なオンリーワン♬」といったどこぞの歌で聞くようなセリフを浴びてきた一人であって、その価値観には大賛成です。大量生産時代に繰り広げられた激しい競争社会、24時間働けますかの根性理論を生き抜いたおじさまたちには確かにある種の尊敬の念は抱きますが、時代の進化と合わせて人の価値観もアップデートすべきです(勿論みながより楽しく、楽に暮らせる方向に)。

人は元来異なるバックグラウンド、趣味嗜好を持つものであるはずで、それらを殺さず生かし合うことでより充実した未来を築けることが理解できれば、職場における適材適所は勿論、学校での学びにおいても、弱点の克服は社会常識レベルで最低限にしておいて、得意を伸ばし刺激し合える環境を作る重要性に気付けるはずです。

 

ただ、個性を尊重しそれぞれの可能性の芽と向き合うにも、先生のキャパオーバー状態では無理です。今回読んだ本は、教育委員会という公教育の基盤作りを行う立場から書かれており、いわゆる官僚制に代表される縦割り・当事者意識の不在という課題をクリアするためのヒントは書かれていましたが(それも人員・財源を割くというシンプルな発想が根源的な課題解決に繋がっているようにも思えましたが最終的にはそういうところになってしまうのかなと・・)、あくまで行政機関で働く公務員の意識改革に資する話だったように思います。特に、教育委員会が地域の学校を「監督・管理する」というマインドから「支援する」という発想に切り替えることは現場感覚を生かす上でとても重要かと。

 

しかしながら、現場の先生は目の前の子供たちが繰り広げる葛藤、成長のドラマに毎日出会っており、言われずとも当事者意識は持っているところ、生徒の個に向き合う時間や労力が十分に割けていないことに苛立ち・やるせなさを感じているのだと思います。GIGAスクールで1人1台端末が整備されることが校務の削減、学習・成績管理の効率化に資するとも言われていますが、ICTを活用した授業設計を確立するまでの労力については軽視されており、結果サポートは十分といえるものではなく自治体によっては端末が納品されたというだけで配られていない、生徒が使える状態になっていない例もたくさんあると聞きます。こういった授業関連の対応は勿論、部活動の顧問を掛け持ちしている教員はより大変です。

文部科学省が教職員志望者や教職員同士の志気向上に資するようにと始めた「教師のバトン」プロジェクト(ツイッターハッシュタグ機能を活用して教員からの意見・エピソードをリツイートしていくもの)でも、心温まる日々の成長物語というよりは働き方改革が進まない現状への憤りが感じられるものも沢山寄せられているようです。

 

じゃどうするか。この本でもチーム学校の取組が書かれていますが、私も限られた学校職員だけで生徒一人ひとりに向き合うことには限界を感じており、上記のICTサポーター、部活動顧問含め、外部人材の活用をどんどん進めていくべきだと思うのです。

教職員の方は働き方改革というと、今ある業務量を減らすことをまず考えられる方も多いかもしれませんが、部活動顧問にしてもレポートの採点にしても、生徒の誰かにはとても重要かもしれない業務を一律になくすというのは危険かもしれません。一方で全てを担任の先生や学校内の教職員だけで担うには荷が重すぎる、そう少しでも感じるのであればもっと外の人を頼ってほしいのです。

 

私は2年間民間企業に勤めていましたが、ちょうどSDGsやESG投資が盛り上がってきた頃でもあり、社会貢献事業と位置付けて出張授業のようなもの始めキャリア教育や、帰国子女が多い会社ということもあってかインクルーシブ教育といったテーマでいくつかプロジェクトを作ろうとしていたことがありました。私は途中で転職してしまったため最後までプロジェクトの遂行には携われませんでしたが、その活動を通して思ったのは、「一般企業で働くサラリーマンたちも教育に貢献したいと思っている」ということでした。

お子さんをお持ちの方も多いですし、当たり前といえば当たり前なのかもしれませんが、寄付文化にしてもさほど大きな抵抗なく受け入れられ、利益が出なくてもいいから参加したいと思ってくれるプロジェクトが実施できる分野であるという点で、教育は他の産業と比べて大きなアドバンテージを持っており、サポートが受けやすいテーマであることは間違いありません。これを先生方にはもっと上手く利用してほしいです。

学校という世界は自分達の学生時代を思い返しても想像できるように狭い世界で、一定の慣習・風土が根付きやすい環境ではあると思います。ただ、そこに甘んじずオープンマインドで声をあげれば、いくらでも救いの手は得られるのはないかなと。

 

学校という場は特殊で、民間企業とは違って教育委員会文部科学省といった行政機関の指針をより絶対的なものとして見る傾向があるように思います。その裏返しで、中央がマニュアル的に手順や内容を示してくれないとできないといった声もあがりやすいように思います。そこを変えていくには・・ここまで考えてみると、もしかしたら教職員の方は、目の前の子供たちの指導への当事者意識はあってもその変え方、授業設計の方向性の舵取りについてはまだどこか「決めてもらう」のを待っているのところがあるのかもしれません。

『教育は変えられる』でも言われている当事者意識は行政機関だけに求めるべきものではなく、行政機関が現場の「サポート」をより真剣に、実効性のあるものにしていくためにも、現場の先生方自身も当事者意識を持って必要なタイミングで「助けて!」と主張することが必要な気がします(単に働き方改革といったざっくりとした業務削減の方向性ではなく、チーム学校的な発想における業務分担の方向で、「こういった人材・機器のサポートがほしい」など)。

こういった現場発信の問題意識に基づいた「地に足のついた」サポート活動をしていくうちに、民間の人材を活用するのに必要なこういう財政支援・システム構築が整ってない、法整備が新たに必要、など行政機関が担うべき制度面の課題もより具体性を帯びた議論が可能になると思うのです。どの分野においても現場が一番面白く、主張の説得性が高いこと、この社会人経験の数年でも感じたところです。

 

とはいえ、「その課題発信するための頭の整理の時間もないんだよ!」「日々目の前の業務に忙殺されるだけでエネルギー切れだよ!」といった声も聞こえてくるような気がします。そんなんじゃずっと現場からの発信もなく、上から適時適切なサポートが自動で降ってくるわけでもなく、コミュニケーション不成立で結局何も変わらず終わってしまう・・果たしてそれでいいのでしょうか。ここからが私の本当の問題意識です。

 

たしかに、どの組織においても中から変えていくというのはとても難しいことです。だから民間企業でいえばコンサルのような存在が経営改革に一役買ったり助言を与えることも多いのです。学校現場においても、外部の人が関わりやすい環境があればな・・と思うところ、色々と複雑な事情もあって先生達も気軽に外部への助けを求められない(正規ルートでも個人的なツテでも)状況なのかもしれません。。ここをどう切り込んで素直にSOSを出せる状況にしていけるのか、今後考えていきたいと思います。どこまでいっても想像論しか繰り広げられないので、いつか現場に飛び込んでみる必要があるのかなとも。

 

今はひとまず、私も目の前のマグロ漁船に酔わないよう目の前の業務一つひとつに当たれたらと思います。全国の先生、ファイト!!!