久っ々の更新🖋~今後の方針も含め~

こんばんは🌕
さて、長らく更新できていませんでした……入籍・引越し・部署の人事異動などなど、日々の生活での変化がめまぐるしかったというのもありますが、2ヶ月間ブログを書いてみて改めて何を発信していくべきか見直しを図っていました。
 
当初は、教育を中心に日記のように感じたことを書いていこうと思っていましたが、始めてみるとそれは案外難しい、というか「今週も書かなきゃ」とプロ作家でもないのにやらされ感が拭えず、あまり楽しめていませんでした😢
自分は社会人4年目に突入したところですが、これという大した実績も挙げていません。そんな自分の日々の思いつきや思考を読みたいと訪ねてくれる暇な人もそうそういないなと思うと一層モチベーションが高まらず。。
友達や知人にFBなどを通じて読んでね〜と言えば勿論見てくれる人は多少いるかもしれませんが、そういう内輪の力を借りても記事の魅力で人を惹き付けてることにはならないので面白くないなと(ただの意地かもしれませんが)思っているのと、なにより知り合いに自分の頭の中を公開するので見てねというのは特定の誰かに対するメッセージでもないのに小っ恥ずかしいので「今のところは」宣伝していません。
 
よく考えてみれば、その人となりを知りもしないのに、考えを知りたいという感情はきっと起こらないなと思うのですが、現職の業務内容や生活実態をオープンにすることはまだ抵抗がありますし変な問題や迷惑を引き起こすことも嫌なので…いつか環境も変わればそういうことも発信できればなとは思ってますが…
ということで、なんの実績もなく全てをさらけ出す準備もできてない今の自分の個人的意見・考えにいきなり付加価値を感じてもらえるわけもないので、せめて見ず知らずの人でも「ほお」と少しでも思ってくれることを発信したいと思い、色々考えた結果、、読書に行き着きました笑
教育に限らず幅広く関心を持ったジャンルの本を読んで、細かい要約まではしませんが、その世界観やメッセージに感想を乗せて発信していければと思います。
ただ、これも定期的に面白い本に出合えるとも限らないので、今後の方針と大々的にタイトルに書いてみたものの、実際は日々の徒然なる考えや日常を綴ってみたり、あまり変わらないかもしれません。笑
 
とまあ、ひとまず読書だと早速手にとってみたのはイシグロカズオさんの新作小説『クララとお日さま』です。昔から小説の方がさくさくのめり込んでいけるので好きでしたが、今回も近未来的でありどこか懐しさも感じるイシグロワールドに惹き込まれました。
この本は、人工知能を搭載したAF(AI Friendの略称でしょうか)であるクララが病気持ちの少女ジョジーに選ばれ、彼女の「親友」として、そしてジョジーを「継続」させるという彼女の母親の秘めたる望みとして、常に側で見守り、観察し、ジョジーにとっての「最善」を考え抜いて役目を終えていく様を描く、機械と感情という一見相反するものが美しく入り乱れた物語です。
ここでは、科学的なものを代表する人工知能と、お日さまの力に対する信仰といった反科学的なものが対立するのではなく、共存し、助け合っているとさえ思える場面が多々あり、そして「AIは複雑な感情構造を含めて人間を完全に学習できるのか」という命題については謎のまま(というか試す必要もなくなり)物語の幕は閉じられています。
(ただ考えてみれば、お日さまの治療力は一定の科学的根拠がありそうなので、クララはやみくもにお日さまが起こしてくれる奇跡を信じたのではなく、一定の条件を見定めて正確にジョジーに適用したに過ぎないのかもしれません・・そこら辺は曖昧に書かれていますが・・)
 
これまでAIやロボットが人々の日常生活に入り込む近未来を描く映画などは、大抵マイナスイメージというか、人間にとっては「敵」になってしまうパターンが多かったので、今回の物語を読んでその怖さが少し軽減されました。むしろ、時に非合理な感情に突き動かされ身勝手な考えに取り付かれる人間より、AFの方が余程けなげで真っ直ぐにその「生涯」を生き抜いたようにさえ感じました。
 
生涯未婚率の上昇、平均出産年齢の上昇などにより独身世帯や子供を持たない世帯が増える昨今、学習するAFのような存在がもっと手軽に手に入るようになったら人々は孤独を埋めるために買い求めるのでしょうか。AIはいつかその学習を極め、合理的判断のために持ち主の安全さえも危険にさらす選択をするのかもしれないと、ターミネーター的な展開をどこかで想定していたこれまでの自分なら怖くて手を出せないと思っていましたが、「持ち主の健康と安全を守る」という絶対的使命が最初にプログラムされていて、それが壊されない限りにおいては、人間以上に信頼のおける、最良の理解者であり助言者になり得るのかもしれないと感じました。それは、今回の「クララ」もそうですし、私の好きなディズニー映画『ベイマックス』に出てくる「ケアロボット」も彷彿とさせます。
 
一方、AIの欠点として、いくら学習しても人間の持つ複雑かつ千差万別な感情構造をAIは完全に再現することはできない、私達はどこかでそう考える節があります(今回の作品でもその部分について登場人物たちは懐疑的でした)。でも考えてみると、人間だって常に感情を働かせているわけではない、というより感情的であることを封じ込めるような訓練さえ受けているように思うのです。私達は、成長に伴ってあらゆる課題に立ち向かっていく際に「自分をメタ認知する」ことの重要性を説かれる場面があるのではないでしょうか。感情的に物事を判断せず、客観的に自分の喜怒哀楽その他の感情を捉え、できれば言語化し、可能な限り人に説明のつく冷静な判断をするように教えられるのです。それが他人と協調して社会生活を営むのに重要なことであることはたしかだと思います。
であれば、AIが感情「的なもの」を学習し、理解を示しつつも、様々なデータ分析から冷静な判断を示してくれるのは、いくら失敗と内省を繰り返しても完璧に冷静になり切れない多くの人間にとってはむしろ有難いことではないでしょうか。人間は感情100%から論理的思考を身に着けていくのに対して、AIは完全に冷静な側から感情を理解していくという、出発点が違うだけだと思うのです。
 
でも・・それでもやっぱりAFを買うことにまだ怖さを覚える自分がいます。それは、AFが人間にプログラムされていて、その製作者が悪意を抱けばいかようにも人間を傷つけるようにだってなれると思ってしまうからでしょう。(例えば、最初はいかにもけなげに買い主の味方でいるように見せかけて数年後豹変するようなプログラムだって可能なのではと・・)
人間は100%感情から入っている、弱い生き物です。どんなに冷静に生きている人にだって、つけ入る「隙」があります。それが人間特有の良さでもあります。でも、AIは上記のとおり出発点が真逆なので、究極的にはその「隙」がない(学習を通じて「隙」があるように見せかけるようには勿論できるでしょうが)。そんな程度の違い、「買い主の健康と安全を守る」という根本的使命がプログラムで起動しているうちは見過ごせるものですが、何かの事故や事件でそれが果たされなくなった時が怖いのです。一緒にいた時間が長ければ長い程、人間は愛着という、これまた非合理的かもしれませんが人間ならではの隙を見せてしまいます。一方でAFは・・残酷な程にそれまでと違う対応だってできてしまうのではないでしょうか。。
 
今回私が読んだ物語には、その辺りの結論(AFが人間の感情構造を再現できるのか、また変貌しうるのか)は書かれていません。ただ、AIが私達の生活にとって身近な存在になる日もそう遠くないと思われる今日この頃、読者に多くの思考余地を与える作品だと感じました。気になった方は、ぜひ手にとってみてはいかがでしょうか!
 
それでは、できれば来週もこんな感じで、読書本とともに思考の旅ができればと思います😊良い1週間になりますように🌟