ポストコロナ時代における学びの形①~「学生の本分」を突き付けられた大学生達~

さて、いよいよ出てしまいました緊急事態宣言。

規制改革が進み、個の力で必要な情報を集めどんどん世界を変えていけるこの時代に、国の統一見解を待ち望む国民の姿勢というのは珍しいかもしれません。ただ、色々と解明されていないことも多い新型コロナウイルス、得体の知れないものを怖がるというのは人間の本能でもあります。春の宣言時と比べてどれだけ本当にウイルスを恐れている人がいるのかというのはよく分かりませんが、一度広まってしまったウイルスへの恐怖はそう簡単に完全払拭できるものではないでしょう。(私自身は、「人間はウイルスと共存するものなの」という母の教えもあり、また小さい頃からあまり風邪をひかない性分なので、今回も必要以上の恐怖は抱かず自分なりに健康な生活を送るための行動はしています)

まあ、今回の緊急事態宣言はウイルスへの恐怖というよりは医療崩壊の危機感が直接的には引き金になった側面もあると思いますが。

 

そんな中、政府の決定や他人の行動にやきもきする時間こそ勿体ないので、発動してしまった制限下でやれることの効果を最大限に高めることを考えるしかありません。

 

今回の緊急事態宣言では、一定の感染症対策を講じるという前提の下、一斉休校はせず入試も予定どおり行うことが発表されていますが、前回の宣言時はどの学校現場も前代未聞の事態に混乱したことと思います。それでも、子どもの重症化リスクは比較的少ないということもあり小~高校は次第に分散登校等の工夫をしながら学校再開が積極的に図られていきました。

一方で、大学生はスマホやPC等を学生個人が保有し、遠隔授業を受けられる環境が整っているケースが多いこと、また高校生以下の生徒・児童らと違って、学校施設の利用を再開した場合の授業外目的の行動制限が困難なこと(よってクラスターを発生させる虞が高いこと)等から、キャンパスに通って対面授業を受ける機会が中々得られないまま半年以上を過ごした学生も沢山いたと思います。自分達の大学生時代を振り返れば、課外活動もままならず、特に1年生は可哀そうな思いをしたことだろうと思います。

 

現在は大学でも可能な限り対面授業を行うよう国が呼びかけており、遠隔授業を行う場合でも学生の納得を得ながら、授業の質が低下しないよう工夫することが求められていますが、今回のコロナ禍での対応の中で遠隔授業実施へ大きく舵を切った大学での学びの形はこれからも完全に元に戻ることはないのではないかと思うのです。

元々ミネルバ大学等、物理的な「キャンパス」がなくとも主体的な学びを得ることが可能な新しい大学の形が注目されてきていた流れの中、「どの大学を卒業したか」より「何を学び、どのようなスキルを身に着けたか」が重視されるジョブ型雇用の傾向とも相まって、日本の大学生が謳歌してきた「人生の夏休み」としてのキャンパスライフの社会的価値がどんどん低まっていくのは必至とも言えることでした。その流れがコロナによって加速され、元に戻れないところまで大学での学びの形は変容を求められました。

 

これまでも大学生の建前上の本分は「学業」であったものの、本音は部活・サークル活動、アルバイト、旅行など「学業以外」にこそ大学生としての悦びがあったというのはある程度企業人にも認められたhidden truthでした。それが、コロナ禍で大学生の醍醐味ともいえる活動が制限されたことで建前上の本分「学業」にしか向き合うことを許されなくなったも同然なのです。このこと自体を以て今の大学生が可哀そうだとは思いませんが、「主体的に学問を追求する」ということを徹底されてこなかった日本の大学における授業方法の改善が追い付かないまま時代の転換期を迎えてしまい、課外活動も含め混乱にさらされたことは純粋に気の毒に思います。(歴史上、どの変革の時期においても混乱は不可避ではありますが)

 

そうは言っても、義務教育段階とは違って授業内外問わず自主的に活動し、学ぶ姿勢が前提とされる大学教育における課題は多く、ただ気の毒がってもいられないのが現実です。本来の本分に引き戻された大学生達が今後、自らの可能性を生かして活躍する素養を身に着けるべく大学という場をどのように生かしていくべきなのか?そのために大学はどのように変わっていくべきなのか?一定の答えが出る自信は全くありませんが、さらに思考を巡らせていきたいと思います。

 

初っ端から長めの投稿となってしまいましたが、お付き合いいただいた方、ありがとうございましたm(__)m