大河ドラマ『篤姫』に考える、先人から渡されたバトンの行く末

ついにコロナウイルスに感染し、久しぶりの投稿になってしまいました。。

普通の風邪なら1日で下がる熱が4日程続き、熱が下がってやっと食欲も少し沸いたと思ったら嗅覚・味覚を失い、食事が苦痛な日々が2週間程続きました。これまで抗体を持たずよくいられたものだと思いますが、ここにきて重症化せず峠を超えられて良かったです。
 
さて、病床で朦朧としながらも、ずっと寝ているのはつまらず、Youtubeで動画を流し見していた中でドハマリしたのが大河ドラマ『篤姫』でした。宮崎あおいさん主演で2008年に放映され、幕末波乱の世を真っ直ぐ生き抜いた女性、徳川将軍家を大奥から支えたプリンセスの物語です。
 
表の政(まつりごと)から切り離され、男性達の権力争いの道具として扱われた時代、それでも母として、妻として、様々な立場から力強くも優しい眼差しで世に光を与えた女性は多くいたと思います。その上に私達が生かされていると思うと、篤姫が身を以て示してくれたように、今この時代、この日本という場所に生まれたことには何か意味がある、自分にも役割があると思えてならないのです。
それがまず一番に感じ入ったところです。
 
篤姫の生き方は誇り高いものだった一方、首をかしげてしまうシーンもありました。それは、13代将軍家定公の世継争いの際のこと、一橋慶喜派と紀州慶福派の間で、篤姫は輿入れの目的でもあった薩摩の父斉彬の命「一橋派を推す」ことを放棄し、「徳川家を守り抜き、将軍家としての威光を保つ」ことを第一とした紀州派に夫、家定公の心が流れることを阻止しなかったのです。
これは徳川200年の太平の世に誇りを持ち、「徳川家の人間」としての生き方を貫いた一人の女性として見れば感銘を受けるシーンかもしれません。しかし、人の上に立つ者は世の大勢を見極め、決して身内の感情のみに流されず、日本や世界の未来にとって真に必要なことは何かを考え、それを実現するためにかかる犠牲と天秤にかけながらも意志を以て実行に移していく強さがなければいけません。篤姫のこの決断は、一橋派を推す薩摩藩らが唱えていた民主主義の走り、すなわち士農工商といった身分制度を取っ払い生まれでなく能力によって職を掴んでいく社会、さらには譜代や外様といった江戸初期につけられた地位に拘ることなく諸侯を集めた会議で政治的意思決定をしていく、欧米諸国に見習った先進的仕組みの実現を阻むものでもあったのです。
 
ここに私は、女性ゆえの情、共感力とでもいうものが裏目に出た瞬間を見たような気がしたのです。共感力が高いゆえに、側で支えた夫の気持ちにいつの間にか染まり、家を守りたい、そして子孫を守り抜きたいという想いを強くするのでしょう。「家庭的」といいますが、現代でも女性は結婚するととかく子供を始め身内のことに心身ともにかかりきりになる人は多いのではないでしょうか。それが女性の強さであり、時に弱みでもあります。
 
権力争いが好きで、自分のビジョンを実現し他者より有能であることを示せるためなら非情に徹することもできる男性と違って、女性はそこまで名を轟かすことに躍起になることもなければ、家族でもない他人のためにこの世をどうにかこうにかしたいといったことにあまり興味がない人も多いのではないでしょうか。それよりは、まず自分の家族を幸せにした上で、できるならば他者とも協調して仲良く楽しく、キラキラした生活が送れればいいという、平和主義者も多いのではないでしょうか。
 
これは決して良い、悪いの問題ではなく、また一概に男性・女性と括れる問題でもないのは分かっています。しかしその上で、私は「家を盛り立て、献身的に夫をサポートする」という、日本女性に押し付けられた良妻賢母像が男女ともにいまだ拭いきれてはいないところがあるのではないか、女性達にはもっと大志を抱いて高い視座で世の中をリードしていってほしい、そう思うのです。
 
私達は良い時代に生まれました。女性が表舞台に出ることが許されなかった昭和初期までの時代は無論、男女雇用機会均等法が施行されて間もない頃、つい20年程前であっても、女性が組織において重要な意思決定に加わるには女性らしさ―優しさや共感力、身の回りを小綺麗にする気遣い―など捨て去り、「男顔負け」で働かなければならなかったでしょう。それが現在では、そんな無理をしなくても、「女性らしさ」をそれぞれに保ちながら、結婚し子育てをしながらでも、志と努力さえあればその意見を聞いてもらえるチャンスが得られるダイバーシティが叫ばれる今、むしろいかに女性の声を政治や事業方針に反映させていくか、躍起になって考えてくれる世の中になったのです。篤姫達から見ればいかに素晴らしい時代に生まれたか、噛み締めなければと思います。
 
私も一女性として、男性が築き上げてきた組織風土にいまだ多く潜む権威主義と非合理性にどう立ち向かい、女性が活躍しやすい社会を作れるか、今一度考えていきたいと思いました。女性が活躍しやすい社会は、すなわち平和と安らぎに満ちた、優しい世界であると私は信じます。これまでの多くの偉大な女性達が示してくれたように、競争と無駄な争いは違う…自尊心を持ち、他者と切磋琢磨しながら自身を磨いていくことと、他者を無意味に傷つけ蹴落とすのが違うことを、女性は男性よりも知っていると信じます。フェミニズムとかそういう次元の話でなく、またLGBTといった男女で括れない世界があることも知った上で、私は女性として自分を定義し、女性であることを誇りに思い、その可能性を信じたい…それだけです。そして、その可能性を発揮できる程に世の中は粗野なものから進歩し、優しいものになっていると。
 
姫を扱う大河ドラマはそう多くありませんがこの篤姫も、また篤姫の数年後に放映された戦国時代の姫「江」も、現代の女性達にたくましくあれとエール送ってくれる傑作に思えてなりません。もらったエネルギーを糧に、明日からまた頑張ります✊