優雅な週末は事前の汗かきが必須😵
さ〜くら、さ〜くら、いざ舞い上がれ🌸永遠にさんざめく光を浴びて☀
ソメイヨシノなど、いわゆる卒業・入学シーズンの「さくら」は見頃を過ぎパラパラと散り始めたこの週末、駆け込むように桜並木や夜のライトアップを見ようと思い立ちまして💡先週金曜日にグランドプリンスホテル高輪を予約し、桜鑑賞からの優雅な週末を過ごすことにしました。
目黒川沿いの桜はまだきれいに咲いてまして、ピンクの可愛らしい苺ドリンク(ジャルダン?)を片手にした見物客が沢山いました🍹
しかし2時間以上歩いたせいか、16時過ぎに品川のホテルに着く頃にはクタクタ、彼共々ベッドで暫しお夕寝をしてしまいました😴
そして1時間ほどして起きた頃に「そういえば夕飯…」とようやくホテル備え付けのパンフレットを開いてみると、なんとチェックイン日には野外での夜桜シアターなるイベント(ホテル内の日本庭園で夜桜を見ながら夕飯と映画鑑賞が楽しめるイベントでその日限定!ちなみに上映作品はピーター・ラビットでした)がやっていたり、彼も大好きなビュッフェが楽しめるレストランがあったりと、目を引くものがいくつかありましたが、もはや当日。。どこも人気ゆえそんな直前に予約できるわけもなくあえなく撃沈しました笑
たとえ空席があっても高すぎてちょっと手を出しにくいなあとは思いますが、品川のプリンスホテルといえば「鉄板焼しゃぶしゃぶステーキハウス桂」の花見桟敷席(4,2000円〜)は憧れますよね〜まあ勿論当日は満席でしたが💦
庭園のライトアップは少しながら楽しめたので良しですが、優雅なホテルステイの休日も「滞在期間にどういうイベントがあるのか」、「ホテル内のレストランでどこに行きたいか」など予約可能期間も含め少なくとも1ヶ月くらい前にリサーチしてプラン立ててこそだなあと思います😅
ちなみに、サンライズ出雲に乗りたいとずっと思っていて、5月3日のチケットあるかな‥?と発売開始1時間後(乗車日1ヶ月前の10時)にノコノコ行ったらやはり売り切れてました。。いやあ皆さん、情熱がすごい👏そしてこういうとき、日本は1億人いるなあ(同じこと考えてる人は沢山いる)と思います🤔笑
これに懲りず、たまにはまた優雅な週末プラン、立てていきたいですね🌟
卒業シーズン🌸逞しく羽ばたく全ての若者に、おめでとうございます🌟
今年もあっという間に3ヶ月が過ぎましたね。卒業シーズンならではのCMが流れてくる時期ですが、ふとYoutubeに表示されたこちらに最近とても心動かされました💛
「消えた試合、消えた文化祭、消えた修学旅行」「青春とは密そのものだったのです」「何度怒りを、涙を堪えたことでしょう」「大人の皆さんが思うような青春じゃなかった」
涙ぐみながらポツリポツリと絞り出すこれらの言葉、こちらも涙なしには見られませんでした😢
感染対策だから、学習効果への配慮はするから…そんな大人達の必死の対応も、若者達をどれだけ救えたのだろう、今しかない青春を奪い傷つけてしまっただけではないのか…そんな苦しさを感じずにはいられませんでした。
ただ後半、
「でも私達は失ってばかりではありません」「私達は誓います。この時代を逞しく乗り越え、遥か遠く羽ばたいていくことを。」
この言葉と最後見せてくれた最高の笑顔に、救われるような想いがしました。ああ、この危機をただ受け身に流されるのではなく、必死で食らいつき、それぞれの立場で乗り越えようと一緒にもがいてくれていたのだと。こう言えるみんななら、これから先もきっと困難を乗り越えてより良い時代を築いていってくれるだろうと。
突破力や壁を乗り越える強さは誰しも最初から持っているものではなく、周りからの励ましや刺激が育ててくれるものだと思います。コロナで今まで以上にその機会を逸してしまった若者が少なからずいることはどうしようもないことかもしれませんが、今からでも手を伸ばし、支える環境づくりをすることはできます。
コロナでオンラインというツールが常態化したことは1つの大きな追い風と受け止めています🙌
改めて、目の前のことから行動を起こしていこうと思える動画を作成いただいたdocomoさんに感謝ですね🍀
新しいステージに羽ばたく全ての若者へ、本当におめでとうございます🌟
大学受験もう一度は無理😵
年明けてなんやかんや2ヶ月経ちますね…
今週末は今年入って初めての結婚式参列があったんですが、ミルフィーユのトップ層にいるような美男美女&お金持ちな実家に恵まれ自身らも高学歴高収入を得るカップルで、こういう風にたっぷりの愛情を受けてのびのび正直に育ち、純粋に幸せ街道を極める人もいるんだなあと、こちらも思わず純粋に彼女らしく幸せになってほしいと思ってしまうような完璧ウェディングでした💒
さて、大人になると試験勉強から解放されて嬉しいなあと思うのですが、どんどん週末の過ごし方が「夜更し→寝坊→ダラダラベッドでスマホ→昼ご飯→スパとかちょっと外出→夜ご飯→ダラダラ→就寝」みたいな、1ミリの知識を入れることもなくひたすら体安めとリフレッシュにかまけるようになってきていて、将来を考えると少し不安になる今日この頃です。
いや、今の仕事がもう人生のゴールです!って人は、可もなく不可もない業務をこなしていれば定期的にお金は入ってくるわけなのでそれで良いと思います本当に🙌(そもそも日本の雇用はそういう前提ですよね)
ただ、残念ながら私は転職を1回挟んでもなお今の環境に満足できない不幸せ者で、どうしてもゴールした気にはなれないので、次なるステップアップのための自分磨きをせなあかんわけです💪
ということで私が現在1つの目標としているのが、教員免許資格取得🖊
東京アカデミーの参考書を買ってみたのですが、教職教養と呼ばれるものだけでも中々歯ごたえがあり、専門科目の勉強もとなるとさながら気分は受験生📖
中高大と試験勉強は重ねてきましたが、あの頃のエネルギーって特別だった気が…やはり若さは偉大🌟
日本史の一問一答を愛読書のように毎日電車で読み耽ったり、空き時間を見つけては勉強してたなあ…🤔
まだネクストステップがぼんやりしてる段階の勉強なので、締まりきってない気もしますが、頑張ろう🤜
最後に、年明けからボランティア活動も色々見ていてこんな支援を発見↓
https://miraikyousou.com/projects/fostercare/
里親と聞くとなんか大変そうというイメージだったんですが、どうやら1年で10万円程を寄付して、児童養護施設出身の子供たち(施設自体は18歳で出る)の大学での学費支援を行うというもので、ただ寄附するだけでなく支援を受けた子供たちとオンラインで繋がり、どういった勉強や生活をしているのか聞けるという、「使い道のクリアな」支援というところがポイントだなと。
年間10万円は決して安い金額ではありませんが、こういう繋がりのある支援なら協力したいと思う大人は案外多いのでないかなと思ったりします。
最近仕事をしていても、「結局一番偉大なのは現場でアクションを起こし理想を形にしてくれる人達」ということをつくづく感じるので、まずは目の前の自分にできることからやっていくことが重要かなと思います🍀
また面白かったことや日々の気づきなど、折りに触れて書けたらなと💫
来年の目標💪
いよいよ2021年も終わり…!!
今年の始めから、自分の表現力や発信力を磨くためにブログを始めてみましたが、結局後半は部署異動やらなんやら環境変化もあり更新がおぼつかず。。😢
業務以外でも色々とあり、、結婚すると心境変化も多々あるものです。
私の場合は7年近く付き合った上で、同棲も2年程した上での入籍だったので大して変わりないだろうと思っていましたが、自分自身というより旦那さんの方がけっこう「結婚ってなんだろう」って悩まされちゃったようです🤵まあ誠実ということでもあるのですが。
そういうのに向き合ったり、改めてこれからの家族の形を考えてたりしてたらあっという間に年末という次第でして。。
さて、来年もまだまだコロナに振り回されそうな予感もしつつ、私は私で、自分の夢に向かってできることからやろうと決意しております💪
一言でいえば、子供たちとナナメの関係を築くボランティア活動をしたいと思っています。そのことも少し言語化して発信できればと思いますが、如何せん実際やってみないとどこまで発信できるものか、すべきものかも分からないので、一先ずは個人的活動目標ということで。あと自分のお金にそろそろ働いてもらいたいので、その勉強も🖊
ともあれ、今年も一年無事に過ごせて良かったです🙇♀
…あ、でも実はコロナに罹ったり温泉上がり貧血になったりしたなあ。。来年は体調面で周りに迷惑かけないように、そして数年以内にはほしいと思っている子供のためにも健康にはもうちょっと気を遣おう🍀
2022年、良いお年を🐯
女性が女性らしくあるための考察~フェミニストになることは必要?~
前回、大河ドラマ『篤姫』に感化され、先代の女性達への敬意や女性であることの可能性を信じたいといった話について書きました。
その約1週間後、小田急線で刺傷事件が起き、大きな衝撃を受けたのです。それは、無差別であるという怖さがあっただけでなく、「(男にちやほやされていそうな)女性」という、なんとも主観的でミソジニー(女性嫌悪)を身勝手に膨らませた結果の悲しい事件であったのです。
こういった無差別事件はいつ自分の身に降りかかってくるか分からない、まさに「運」なのです。なので、そういった悲しい事件を起こそうという人がこの世から少しでもいなくなればいいと思いますが、そのためには、なぜそういった感情が沸くのか、事件後に「フェミサイド」「ミソジニー」に関する事件と言われる背景にあるフェミニズムの思想とは何なのか、そんな憎まれるべきものなのか、きちんと理解したいと思い今回、上野千鶴子さんの本を手にとりました。
結論、フェミニズムは「女性が女性らしくあること」のために、嫌なことは嫌と主張する、女性にとって生きやすい世の中を築くために奮闘してきた女性達の歴史・努力の蓄積であり、一女性として感謝こそすれ否定はできないものであるということ、一方でやはり私はフェミニストには(少なくとも今は)なれないなという感想を抱きました。
前者については、本をぜひ手にとってどのような葛藤を女性達が抱え、闘ってきたのか実際読んでいただければと思いますが、後者は私ならではの感想なのでもう少し触れておきます。
私がフェミニストになれないなと思ったのは、〇〇派、〇〇ニストになるには、強いエネルギー、信条がないといけないからです。でも、人間の価値観に絶対的な正解ってなくて、また一人の価値観も時を経るにつれ変わっていくものだと思うんです。そんな中で、断固として一つの主張を通すことは個人としても難しいと感じましたし、多少なりとでも他人の思想を否定することにも繋がると思ったので、そんな攻撃性を持つに至る程の動機はないなと感じたのです。
女性が蔑まれたり働く上での権利や自由を奪われてきた事実はたしかにあったのかもしれませんが、一方で男性は男性社会の中で辛いこと、逃げ出したいことがあったはずで、フェミニストって自分を定義しちゃうと、そういう男性ならではの苦しさ含め、自分以外の価値観を持つ人のバックグラウンドに目を向ける余裕がなくなってまうのではないかと思うんです。自分達の流派を盛り立て、世間にムーブメントを起こすのは大変なので、いかに強く主張を押し出していくかに相当のエネルギーを注ぎこまなくてはいけないのもあるのでしょうが。
ゆとり教育を受け「みんな違ってみんないい」の価値観を持つ今の20代男性は、依然として古い体質を持つ企業の組織風土に嫌気がさし、専業主夫願望を持つ人も多いと聞きます。また、女性は女性で、やはり会社組織のストレスから逃げ出し、結婚を機に自分のコントロールが効く家庭を築きたいと思う人はいまだ多くいます。女性の場合は専業主婦という選択肢がかなり公に認められていますが、男性の場合は肩身の狭い思いをやはりするでしょう。そういった点で、男性たるものずっと働かなくてはいけないという、重荷を彼らなりに背負っているのです。(フェミニストの方は女性が働きたい前提で話される方が多いような気もしますが、働かないで済むならその方がいい、趣味はやりたいけど・・という、女性の私から見てもわがままだなあと思う願望を抱く女性は多くいます笑)
また、自分も働いてて思うのですが、職場でも何かと女性の方が得することも多いですよね。男性よりは詰められなかったり、長時間の残業が必要なポストは、なんだかんだ理由をつけてパスできたり。それはひとえに、これまで権利を主張し、NOを突き付ける勇気のあった女性先輩方の努力の賜物だろうとは思いますが、彼女達がフェミニストであったかはまた別の話です。働いていておかしいと思うこと、変えたいことを主張していくことは男女問わずあるべきことなので。
ともかく、現代の職場はかなり女性に優しくなっている。その中で男性社員の方が割に合わないなあ、別に欲してもないのに男性らしさを押し付けられるなあと憤りを感じる可能性が高くなっていると思うのです。会社のおじさんで「ここで男を見せなきゃ」みたいな発言をする人がたまにいて、これも対象は男女問わずセクハラになるんじゃないか・・と思いつつ、女性であればそこに乗っかって「あ、じゃあお願いします♪」みたいに上手く使っている人もままいるのではないでしょうか笑
こういうことが増えていく中でも「女性の権利」ばかりに焦点を当て続ければ、そりゃアンチフェミニストになる男性が出ても不思議はないわなと思うわけです。上野先生の本の中で、主張し続けなければ女性はセクハラされ放題、おじさんたちがセクハラ発言に怯えてるくらいがちょうどいいといったご意見がありましたが、これには頷く一方でやはりそれとフェミニストは自分の中では結びつかないなと。嫌なことは嫌ということとは、男女問わずすべきことですし、むしろ性を意識しすぎることこそ無用な争いを生むのではないかと思うのです。そうはいっても性別の差を超えることはできず、男性らしさ・女性らしさの概念から完全に解き放たれることって人間でいる限りないのでは?と思うので難しいところですが。。(ワンピースなど可愛らしい服装は純粋に楽しみたいのもありますが、やはり男性の視線も気にして「女性らしさ」を感じてほしいというのもありますし)
勿論、フェミニストの思想に疑問を持つからといって、勝手に絶望し勝手に女性を憎み、無作為に人を傷つけるようなことは許されません。しかも今回の事件は個人的な女性経験に基づく、なんとも身勝手な犯行でした。男性同士は互いに無関心といいますが、まあ女性には興味があるから恨みにも繋がるのでしょう。男性はみんなマザコンとも言います。
女性としては、誰と付き合うかを選ぶ権利は勿論ありますが、告白されたりアプローチされる側になることがやはり多いので、人として最低限のマナーを守って、相手の立場や気持ちも思いやりながら上手く生きていくしかありません。その上で、好きな女性と付き合えないからといって、内省もせず憎悪に昇華させ、あくまで他人のせいにする人は、人間として弱いとしか言いようがありません。そうさせる環境や教育を身近なところからでもいい、少しでも変えてそういう「弱い」人間を生まないよう何ができるかを考えるばかりです。
とりとめのない文章になってしまいましたが、最近悶々としていたことを言葉にして自分なりに整理したつもりです。暫くは電車を乗るのにも警戒心を抱かざるを得ませんが、息苦しい社会がそこにあるなら、共に少しずつでも明るい方向に変えていける一人に、私はなりたいです☘
大河ドラマ『篤姫』に考える、先人から渡されたバトンの行く末
ついにコロナウイルスに感染し、
『コロナ後の教育~オックスフォードからの提言~』を読んで
●大学に関する教育政策は、社会の焦燥感や危機感を大学に押し付けた「大学性悪説」を前提にしており、抽象的で耳障りの良い言葉を並べ立てた目標を掲げ、具体性に欠ける手段によって表面的対応・評価にとどまっている。
●文部科学省は実態(現状の教育で何を達成してきたのか、何が得られなかったのか)をしっかり調査・分析し、「地に足のついた」政策立案を行うべき。
●教育は人類が築き上げてきた知を次世代へと伝達する「知の再生産」の過程であり、特に大学は、未知と向き合い、知識を主体的・批判的に再構成することで新たな知を創り出すことが求められる。
上記が本書から私が感じ取った要約です。
このブログの年明け投稿でも何回か書きましたが、新型コロナウイルス感染拡大を機に教育事情は大きな変化を迫られました。危機が訪れると国の行動に注目が集まり、全国の教育委員会・先生達もどうにかしてくれ、指針を示してくれと期待も高まります。(世間の注目度が高まったからか、コロナ前は殆ど教育関連の記事を見なかった印象の日経新聞でも、コロナ禍になってからは毎日1つは見るようになった気がします)
そんな中、国だって正解なんて分かるはずもなく模索しながらの政策立案だと思いますが、この本はそのような混沌とする現状にどのような「解」を示してくれるのだろうと興味を持って手に取りました。
書かれていることは尤もで、理想の政策立案の在り方、大学における学問追求の在り方だと思います。しかし、正直学者の方の主張というのはどうも昔から少し苦手で、どこか批評家、コメンテーターとして、それこそ「実態を無視した」提言になりがちなのではないかと思います。
というのも、マンパワーや一人ひとりが割けるエフォートには限界があります。官僚の数も限られています。新型コロナウイルスのような予見できない危機対応が発生すれば、その緊急性ゆえに時間もない中で早急な対応策の立案・決定・実施が求められます。現在の永田町と霞が関のパワーバランスについて良し悪しの結論を下すことは簡単ではありませんが、官僚達は国会会期中(少なくとも年間半年近く以上)は急な質問通告への対応や答弁作成に追われる他、国会関連以外でもあらゆるレクや資料要求、白書や政策文書の執筆照会、有識者会議やワーキンググループ・議員連盟といった会議体の議論内容検討やロジ調整等、日々目の前の業務を捌くだけでも精一杯の日々です。
そういう中で、この苅谷先生の指摘するような「現場での実践知の積み上げによる、実態に即した政策立案」をする余裕がどれ程彼らに残っているのか、どれだけの時間やエネルギーを生産的な政策立案業務に割けるというのか、そこへの配慮なしに「国が・・すべき」という議論をこれ以上繰り広げるのは、あまりにも他人任せではないかと思うのです。
また、知の生産を行う場として、大学での学問の追求の在り方についても、理想は置いておいて、現実は「人生の夏休み」としてインターンシップや部活動、留学など多様な経験をしてみたいという人が多いのは事実です。20台前半までの学生が多い中、様々な興味を持ち、社会に出るまでにあらゆる経験を積んで適性を見出したい、楽しみたいというのは自然な若者の感情だと思います。日本の大学は入るのが難しく、高校生は勉強漬けの人も多いため、よりその傾向が強いのかもしれません。
それも別に、悪いことだとは思わないんです。遊びたい時に遊び、また勉強したくなったら学校というフィールドに戻ってくる。「大学生は勉強すべき」「こうやって学問追求すべきだ」なんて決めつけられる必要はないんです。どの年代になっても学ぶ機会が保証されていれば、やり直しなんていくらでも効くのです。
高等教育について考えると、私の場合いつもリカレント教育に戻ってきてしまうのですが、社会(企業)が学び直しにお金を出しても良いという風土が早くできればなと思います。まあ最悪、自分の意思さえあれば一定のお金を貯めて通信制大学など学費の安いところに通うなり、どうとでもなります。
大学を巡る教育政策(研究はまた別かと)、また現場では知の創出といった抽象的「べき論」でなく、学生や社会のニーズに応える大学教育をどのように構築するかといったことを軸に考えていってほしいなと思います。
ああ、やっぱり小説以外は素直に受け取れないなあ・・と煮え切らないところもありますが、評論文には筆者だけでなく読者にも批判的思考がつきものです。価値観が合わないからこそ多様性が存在し、その中から新たな価値が生まれます。実際にこの本を読んで私は、解決策にはならないかもしれませんが将来のビジョンに繋がる新たな発想を得られたと感じています。
雑駁な文章ですみません、ありがとうございました!